1. 当越励学院の院長阿南巌は24年前にこの銀座歩行者天国にて、毎週日曜日、大きな背負い看板をもって当時も正義の訴えを続けました。
皆さんは24年前、何をされていましたか。
今、我々娘たちは、父の正義の訴えを受け継ぎ、この場所でまた、皆さんに訴えます。
「時代の変わり目、時代の節目。読める人は読め!」院長はこのように何度も、去年強調しました。
時代が変わるということを院長は誰よりも強く感じ取り、そしてそれをもとに皆さんに強調しました。つまり、院長は新しい時代の到来を、もう見ていたのです。
… この世に、そしてこの現代に、復活の力が具体的に現れるための道のりでありました。
実際に一度亡くなった、そしてその三週間後に実際に復活したのであります。
このものすごく大きな奇跡とともに本年3月に黎明時代が到来したのであります。
2. そして黎明時代が到来した今、院長はこの日本国内ではなく、世界において、その侵略者たちを相手にしている。
アメリカが日本国民に対し犯した十一の巨罪を院長が発表しました。
そして戦後はこういう流れになった。これが今の流れだからと一言で片付けることは間違いです。
3. この国木田独歩は37歳で肺結核で亡くなりました。
そしてその小説には、書いている側の思惑も当然ある。
その植村正久という名のいわゆる牧師をあの国木田独歩が崇拝していた。人間崇拝、これはもう著しくカルト臭いものである。
もう一人の小説家は、江戸川乱歩。
言い換えれば、自分が書く小説を通して、国民の歩み、国民の人生が乱れるようにとその思いであの者はそのペンネームを選び、そして小説を書いた。
4. … 僧侶同士、そして僧侶が他の少年たちを悪用する、性的に悪用する、そういうものをあの江戸川乱歩は題材にして色んな小説を書いた。
… もちろん、その汚れは国民の皆さんに入ってきます。
…(ジャニーズ問題の被害者は)2004年の段階からもうすでに必死に声を上げていた。だがその訴えをメディア界全体が蓋をし続け、そして踏みつけてきた。
そして戦後になると … この同じ江戸川乱歩は調子よく評論家になって、… この日本社会に対し偉そうに口を開いた。
5. 一例を挙げると、1973年にいわゆる大ヒットした曲がある。- 飛行機雲 -
「空に憧れて、空をかけ行き、あの子の命は飛行機雲だった」とあの19歳の松任谷由実という女が歌った。
彼らがどれほど生きたかったことか。
だいたい、あの松任谷由実は、その16歳、17歳、18歳の青年たちが特攻隊として命を奪われたその時、あの松任谷由実はまだ生まれてもいなかった。
流れを作っている者たちがいる。そしてメディアはその一つの大きな道具である。だから、「流れ」ではなく、「扇動」である。
だから、このメディアは処罰される。
せんどう
1. 当越励学院の院長阿南巌は24年前にこの銀座歩行者天国にて、毎週日曜日、大きな背負い看板をもって当時も正義の訴えを続けました。
皆さんは24年前、何をされていましたか。
今、我々娘たちは、父の正義の訴えを受け継ぎ、この場所でまた、皆さんに訴えます。
「時代の変わり目、時代の節目。読める人は読め!」院長はこのように何度も、去年強調しました。
時代が変わるということを院長は誰よりも強く感じ取り、そしてそれをもとに皆さんに強調しました。つまり、院長は新しい時代の到来を、もう見ていたのです。
… この世に、そしてこの現代に、復活の力が具体的に現れるための道のりでありました。
実際に一度亡くなった、そしてその三週間後に実際に復活したのであります。
このものすごく大きな奇跡とともに本年3月に黎明時代が到来したのであります。
2. そして黎明時代が到来した今、院長はこの日本国内ではなく、世界において、その侵略者たちを相手にしている。
アメリカが日本国民に対し犯した十一の巨罪を院長が発表しました。
そして戦後はこういう流れになった。これが今の流れだからと一言で片付けることは間違いです。
そしてその小説には、書いている側の思惑も当然ある。
その植村正久という名のいわゆる牧師をあの国木田独歩が崇拝していた。人間崇拝、これはもう著しくカルト臭いものである。
もう一人の小説家は、江戸川乱歩。
言い換えれば、自分が書く小説を通して、国民の歩み、国民の人生が乱れるようにとその思いであの者はそのペンネームを選び、そして小説を書いた。
4. … 僧侶同士、そして僧侶が他の少年たちを悪用する、性的に悪用する、そういうものをあの江戸川乱歩は題材にして色んな小説を書いた。
… もちろん、その汚れは国民の皆さんに入ってきます。
…(ジャニーズ問題の被害者は)2004年の段階からもうすでに必死に声を上げていた。だがその訴えをメディア界全体が蓋をし続け、そして踏みつけてきた。
そして戦後になると … この同じ江戸川乱歩は調子よく評論家になって、… この日本社会に対し偉そうに口を開いた。
5. 一例を挙げると、1973年にいわゆる大ヒットした曲がある。- 飛行機雲 -
「空に憧れて、空をかけ行き、あの子の命は飛行機雲だった」とあの19歳の松任谷由実という女が歌った。
彼らがどれほど生きたかったことか。
だいたい、あの松任谷由実は、その16歳、17歳、18歳の青年たちが特攻隊として命を奪われたその時、あの松任谷由実はまだ生まれてもいなかった。
流れを作っている者たちがいる。そしてメディアはその一つの大きな道具である。だから、「流れ」ではなく、「扇動」である。
だから、このメディアは処罰される。